はじめに、そもそも筆者がどのような史観を持っているかを説明しておこうと思います。なお、筆者は建築学の徒などになったことは全く無い単なるオタクであり、以下は全て独学的解釈である旨をご承知おきください。
「建築めぐり」のコーナーで取り上げていくのは近代以降(幕末以降)の建築になりますが、時系列を追うにはその前の時代の建築、すなわち在来の日本建築についても触れておく必要があります。ここでは、日本建築に触れてから、[様式建築]、[擬洋風建築]、[モダニズム]、[ポストモダン]の順に追っていくことにします。
日本建築は、古来から日本で培われてきた建築思想・技法で、木造を主構造とし、壁は漆喰、屋根は瓦を用いるなどした、いわゆる和風の建築です。江戸時代までは(西洋の思想や技法を部分的に取り入れつつも)日本建築が建築の全てでしたが、明治維新以降は新たな建築思想の出現により縮小していきました。
<明治~戦前>
明治維新以降、石材や煉瓦など新たな建築材料を用いた西洋建築が建てられるようになりました。そして西洋建築は、体系的なデザイン思想に基づいて装飾を施す「様式」という概念(ゴシック、ルネサンス、アールデコ、帝冠…など)がありました。それぞれの様式の差もあるのですが、どちらかというとそのように「様式に則って意匠を飾り威容を示す」形態であった、というのが重要で、ここではそれらを「様式建築」と総称することとします。
当時の建築(公共的建築)は権威者の権威性を人々に知らしめる意味合いもあり、こと日本においては新政府の権威を示すとともに近代化を諸外国にアピールする必要があったことから、様式建築は求められました。その後様式建築は日本の富国と帝国主義に比例するように戦前に最高潮を迎えますが、戦後は後述するモダニズムに取って代わられていきます。
赤坂離宮
<幕末~明治>
明治日本で洋風化が是とされる中、本格的な様式建築は多額の費用や高度な人材を要するためなかなか建てられるものではありませんでした。そのような時代に、在来の棟梁や大工らが日本建築の技術を応用しながら洋風を目指したのが擬洋風建築です。日本建築を出自とするため、主構造は木造で漆喰を用い、屋根も瓦であることが多かったですが、その上で各々の感性や、場合によっては西洋人との共同設計によって、洋風な意匠を実現させた和洋折衷な日本独自の建築形態です。公共的建築においては、様式建築までは建てられない地方の役所建築で擬洋風建築が推奨されたこともあり、多くの例があります。本コーナーでは、様式建築が建てられるようになる前の幕末期の西洋人向け建築を含め、「日本建築の技術を応用して建てられた洋風建築」を幅広く擬洋風建築と捉えることとします。なお、時代が下るとともに必要性が低下し、大正期以降は建てられなくなっていったとされています。
旧新潟税関庁舎
<戦前~1970年代>
近代も時代が下ってくると、民主主義の拡大とともに権威主義が否定されるようになっていきました。特に日本は敗戦により民主主義化されました。そのような時代背景の中、建物としての機能に関係のない装飾に拘って権威を示そうとする様式建築を批判し、機能性を重視した合理的な建築を目指すモダニズム建築思想が勃興します。その旗振り役となったのはフランスのコルビジェですが、その弟子であった前川國男らや、さらにその弟子である丹下健三らの日本人建築家たちによって、国内で数多くのモダニズム建築が生まれました。
しかしながら日本におけるモダニズム建築は、役所建築をはじめとしてその建物の意味を知らしめるための主張性を求められ、そのために意匠を多用するという“先祖返り”のような動きを見せるようになり、本来の合理的で簡素なコルビジェのモダニズムから離れて「ジャパニーズ・モダニズム」とも言うべき独自の形態を発展させていきました。
国立西洋美術館
<1980年代~現代>
ポストモダンとは、モダニズムを時代遅れのものとして、それに代わる新たな建築思想として模索されてきたものです。が、実のところこの「ポストモダン」というのはかなり不定形と言えます。そもそもが「モダニズムの後釜」という所にしか立脚していないので思想的根拠や体系に乏しく、多様な建築思想が混在しています。また、なぜ「モダニズムの後釜」が必要されたかというと、「モダニズムの合理性への徹底が装飾性を取り除き過ぎて、建築を無味乾燥にしてしまったことへの反動」とよく説明されているようですが、先述した通り日本特有の「ジャパニーズ・モダニズム」ではむしろ装飾性(意匠性)を発展させており、この説明は厳密には通りません。実際のところは、バブル景気の到来によりこれまでとは異なる見栄えの華やかな装飾性が求められるようになったことと、大面積のガラス、パネルや不燃木材といった新たな化粧材、あるいはコンピューターといった新たな技術の登場により、建築の可能性が急激に広まったことが合わさって生じた“ムーブメント”なのではないかと考えています。
ともあれ、それまでのモダニズムから一定の断絶があったのも事実なので、それ以降の様々な試みをまとめてポストモダンと整理することにします。
京都駅ビル
以上が筆者の建築史観です。各建築の紹介では、このような通史観をベースに、それぞれの建築を位置付けて解釈していきたいと思います。